ハルマゲドンの大峠 ノストラダムス予言研究家ザール隊長

日月神示:春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠越せんことになるぞ。 日月神示を参考にノストラダムスの予言を研究しています。2016年から2025年までは正念場のときです。2023年、北海道の長雨から日本はいよいよ厳しい状況となります。2024年は北日本と首都直下の大地震があるようです。北海道・東北・関東はほぼ間違いなく住めなくなくなりますね。国民は淘汰され、3500万人ほどになるようです。日月神示では掃除・洗濯・身魂磨き・改心という言葉が頻繁に使われています。カルマの浄化が大切です。 日月神示に関しては中矢伸一さんの著書などから転載した記事もあるので読んでいただければ幸いです。

カテゴリ: 〈中矢伸一〉『日月神示の開運法則』運がよくなる体質になる

 言葉は言霊であり、良いも悪いもエネルギー体です。
 一般的に悪い言葉、人を呪うような言葉、そういうものは使用しないことです。日月神示の視点で言えば、現代の日本語というのは乱れに乱れてしまい、今の言葉は言葉ではないという批判があります。「昔の古語がマコトの言葉である」と出てきます。
 「昔」とは、いつの時代のことを言っているのかわかりませんが、古い言葉、古語こそがマコトの言葉であると言うのです。現代の日本語でさえ乱れちゃっているのに、加えて誰かの悪口を言うようなことは慎まなければいけないわけです。
 そもそも言霊を持つのは日本語だけです。
 万葉集に「言霊」という記述がで出てきますが、他の外国語にはないものが日本語にはああるということです。
それは本当にパワーを持つ、極端なことを言えば人を幸福にも不幸にもできるというパワーを持つことであり、それが日本語の力であるのだから、良い方向に使わないといけないということです。
 相手が幸せになる、いい気持ちになるような言霊を使えば「言霊の幸(さき)わう国」とあるように、次第にそれが全体へとつながり、やがて自分にもそれが返ってきます。
 しかし相手が不幸になる、嫌な気持ちになるような方向に使うと、相手を滅ぼすこともできるけれども、そいいうパワーは確実に自分を滅ぼすことにもつながります。ですから日月神示には「人をほめよ」とあるのです。「ほめてその非を悟らせよ」ともあります。
 ただし、人生において一切の悪口やマイナスの言葉を口にしないというのも、誰もがすぐにできることではありません。これがなかなか難しいものです。
 皆、普通の人間ですから、何かつでに嫌味が出るとか、ちょっと批判するような言葉を使いがちです。国際情報において中国や韓国の言動にひと言もふた言も言いたい人がたくさんいるし、政治家や経営者に色々言いたい人も世間には山のようにいます。
 そこまでスケールの大きな話ではなくとも、家族や友人・知人・あるいは取引先などに文句の一つも言いたい人は、ちょっとしたら地球上の人間のほとんど全員かもしれません。
 にもかかわらず、一切使わないに越したことはないのです。
 そういう崇高な目的のために日月神示のような啓示が存在するわけで、あの時代に岡本天明という人に天啓が降りたのは偶然ではないと思います。
 「そなたはよく腹を立てるが、腹が立つのは慢心からであるぞ。よく心得なされよ」
 まさにこの神示は的を射ています。自分なりに様々な理由はあれど、怒りや恨みや憎しみは慢心そのものであり、慢心は自分の思い込みであることは隠しようがありません。
 自分が良い言葉、美しい言葉を発するようになると、自分の周囲が変わります。他人を変えることはできませんが、自分自身が変わることで他人も変わります。
 ただし言葉はパワーを持ちます。その言葉通りの場面が実現されますから、その意味でも本当に気をつけないといけません。激しい憎しみ、恨み、怒り、嫉妬といったマイナスのエネルギーは、できる限り発散しないように心がけることです。
 陰陽道(おんみょうどう)を代々継承する陰陽師といった職業の方々などは呪術を習得されている専門家ですから、そのあたりの影響については特に詳しいのではないでしょうか。

第5章 運が良くなる体質になる!

転載:『日月神示の開運法則:あの世・この世のしくみが導く』  中矢伸一著 徳間書店 2014.2.19

次回:【中矢伸一】エネルギーの循環を知っておこう/「運が良くなる体質になる!」②

 と言うものの、本当に頭にくる相手や恨んでいる人に対して、感謝の言葉を祈ろう、良い言葉を使おうとしても、なかなか難しいと思います。
 そこでいつも考えてほしいのが、「エネルギー循環」というしくみです。
 このしくみを簡単に言えば、プラスのエネルギーもマイナスのエネルギーも、世の中ではすべてのエネルギーが循環しており、各エネルギーはそれと同じ波長(波動)のエネルギーが同期する、つまり同じエネルギーは引き合って集合するということです。逆に言うと、違う波長のエネルギーは引き合わずに反発します。 
 ですからなるべく、良い言葉を使いましょうというわけです。
 まさに、開運のキーワードでもあるエネルギー循環です。
 言霊が返るのを「返り霊(だま)」と言ったりします。返り霊は良くない意味で使われることが多いのですが、「人呪わば穴二つ」などと言われるように、そういうおとが起きます。この場合の「穴二つ」というのは、相手と自分の墓穴の数。誰も救われません。
 昔の話で恐縮ですが、まだ世に出ていなかった頃の私に、「これを読んでおくといい」と日月神示の全巻本をくれた先生は霊能者でした。そして実はこの先生、日月神示に入る前は呪いを商売にしていたこともあったそうです。
 現在も霊能者と呼ばれるプロの中には、お金を受け取り呪術(呪詛=じゅそ)を商売にされている方が結構います。昔もそういう人があちこちにいました。
 その先生も人を呪うことを、かつて商売にされていたのですが、大呪い、中呪い、小呪いと分けて、「どれにしますか?」とお客さんに選ばせていたそうです。呪いの種類というか、効き目で代金が違うわけです。
 小呪いというのは、ちょっとけつまずかせるとか転ばせる程度、中呪いは大けがを負わせるくらいのこと、大呪いは消す(殺す)というレベルでやっていたそうですが、それらは必ず自分に返ってきて、これこそ死ぬほどひどい目に遭うのだとわかり、ある時を境にやめたそうです。
 最初にそういうことがわかっていれば、決してやらないはずです。順番が逆で、まず日月神示に出合っていれば、いくらニーズがあるから、いいお金になるからといっても、そんな「人を呪ってなんぼ」の商売なんてやらなかったと思うのです。
 その先生いわく、自分にはそういうことができる能力があるとわかった、そういう呪ってほしい依頼もある。お金になるぞということで続けていたらしいのですが、死ぬような思いをしたことでやっちゃいけないと感じてやめたと話していました。

 
 今のケースはちょっと極端ですが、エネルギー循環で見ると当然の結果です。 
 ですからできるだけプラスの言葉を発すること、相手のいい点をなるべく褒める、短所をあげつらうのではなくて長所を見つけてあげることです。
 普段、お手伝いをしない子どもがちょっとだけ手伝ってくれたら、「いい子だね」と素直に声をかけてあげること。部下にサポートしてもらったら「本当に助かったよ、いてくれて良かった」と相手の存在意義に対して敬意を払うような言葉をかけてあげること。普段は面と向かって言いにくいかもしれませんが、ご主人や奥さんに「いつもありがとう」とか「楽しいね」と、場のエネルギーを上げる言葉をかけましょう。
 自分自身を褒めることも大切です。

 この世界で生かされていることへの感謝を、毎日口に出しましょう。「おかげで今日も生きています、感謝します」そういうふうに言霊を使っていけば、人を恨まければならないような目に遭わなくなります。あえて人を呪うとか悪口を言うような境遇とはご縁がなくなるというわけです。
 これが「ご縁の法則」です。
 そもそもご縁というのは終生一定のものではありません。ご縁のネットワークは良くも悪くも、自分自身が出すエネルギーの「質」が変わるたびに変化するのです。

 それは自分を振り返るとよくわかります。
 20代、30代の頃は本当に荒削りで、食生活も相当乱れた毎日を送っていたせいか、おかしな人間が周囲にいました。自分自身の中に良くない想念が渦巻いていたのかもしれません。そういう波動が彼らを呼んだのでしょう。最近はそういう人の関わりがすっかり消えました。エネルギーの方向が変化したのだと思います。
 日月神示の言葉を載せておきます。

 「嫌なことが起こって来るのは、嫌なことが自分の中にあるからぢゃ」
 「何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼び寄せているのぢゃ。苦しみの神、因果の神呼んでおいて、不足申している者多いのう、自分で呼び寄せながら、嫌がってハネ返す手あるまいのう」


第5章 運が良くなる体質になる!

転載:『日月神示の開運法則:あの世・この世のしくみが導く』  中矢伸一著 徳間書店 2014.2.19
次回:【中矢伸一】愛も富も両方追いかけていい/「運が良くなる体質になる!」③  

※例えば「因果応報(カルマの法則)は信じない」というような真理を否定することを仏教では邪見(無智)と言います。因果応報を信じていれば、なるべく悪い行いを慎むように心がけるようになる可能性が高いでしょう。日本人は本当の仏教が根づいておらず、子どもにちゃんと躾をする親も少ないようです。森友学園の塚本幼稚園が教育勅語を教えていたことが問題になっています。政府は「道徳」という名のもとに固定的なものを押しつけようとしています。本来はその国にしっかりとした宗教(仏教)が根づき、親が子どもに躾をすれば道徳の授業は必要のないものなのです。

 愛というのはイコール「神(神様)」です。
 神様の本体の表れの一つ、つまり表現の一つが「愛」です。
 たまに「愛とお金の両方を考えていいのだろうか?」という質問を受けることがありますが、その答えはイエスと言っていいでしょう。
 日月神示ではお金や富を得ることは喜びであると解釈します。
 喜びこそ神様の本体であり、歓喜することこそ神様と正しく交流する道だというのです
。もちろん、お金や富を得ることだけに邁進するとか、人を欺いたり騙(だま)したりするような手口で富を収集するなどということに対しては、人の道を外れたということで大きなしっぺ返し(現世でのしっぺ返し、あるいは来世におけるカルマ=メグリかは別にして)がありますが、富を得る自体は別に罪悪ではないというのです。
 「生活が豊かになって来るのが正しい道ぞ。行き詰ったら間違った道を歩いているのざ」
 私たちはそのつど、自分の人生を振り返る必要があります。
 「神と金と二つに仕えることは出来ん。そのどちらかに仕えねばならんと。今までは説かしていたのであるが、それは段階の低い信仰であるぞ。影しかわからんから、時節が来ておらんから、そう説かしていたのであるが、この度、時節到来したので、マコトの道説いて聞かすのぢゃ」
 神様(愛)をとるのか、お金をとるのか、これまでどっちかだよと分けられてきましたけれど。これからの時代は両方つかんでいいのだと思います。
 つまり愛の面でも恵まれるという、両方を手にする生き方こそ本物の生き方だと。だからこそ、日月神示では「嬉し嬉し」と、嬉しという言葉を二回繰り返すわけです。でも、まずは愛されたいとか、まずはお金が欲しいとか、神様への善徳以前にそれらを優先して追いかけちゃうと、二つとも逃げていくというのです。
 神様への感謝にあふれた日常、自らのメグリの解消に励む日常、それらが大前提としてあって初めて、愛とお金の両方を考えていいんだよというというわけです。
 だからどんなシュチュエーションでも、私たちはまず与える方向で生きましょう。
 日月神示には「お金がなければ何も始められないという考え方ではダメ」と出てきます。
 岡本天明さんがそう思っていたのかどうかわかりませんが、天明さん自身が神様から怒られているのです。「そなたが『まず金がなければ』と申しているが、その考え方がいあけないのだぞ」と。
 極めて人間的な考え方であれば、「お金があればこういうこともできるし、ああいうこともできる」と考えがちですが、それはまったく逆で、まず自分から相手に対してギブアンドギブ、与えっ放しという考え方で行動することが重要なのだと説くのです。すると別に追わなくても、向こうからやってくるのだと思います。
 「神の道を進むものは、嫌でも金がたまるのぢゃ。金がたまらねば深く省みよ。道に外れて御座るぞ。人の罪は子ではない、喜びの子ぞ」
 ギブアンドギブという姿勢こそ正しい道であると、私は強く感じます。
 日月神示はそれこそが本当に身に着くものだと説いています。すると「足りないもの、不足のものがなくなる」とあります。要は意識のベクトルをどういう方向にセットするのかということです。まず自分から追いかけるのか、追いかけて取ろうとするのか、あるいは自分から与えようとするのか。
 そしてこれこそ、各自が色々な経験を積まないと理解が難しい部分なのです。

 生まれてこの方、人生でいいことが一つもないよと口にする人がいます。
 いやいや、ちょっと待ってください。さすがにそれはないでしょう。一つくらいはいいことがあったでしょうと切り返しても、相手はないと思っているわけです。
 これは単なる「贅沢」(ぜいたく)です。
 日月神示に出てくる「いくら貧乏だとて、犬猫とはケタ違うがな」という言葉がそれを象徴します。犬猫は何も持っていないし、何も着ていないけれど、楽しそうに生きているじゃないですか。それに比べて人間は、生まれながらにして実に多くの能力が与えられています。特に他の動物と違うのが言葉です。
 どんなに貧乏人で、どんなに今が不遇であろうとも、生まれながらにして与えられている人間としての力があります。どんなに小さなことでもいい。まずはそこに気づくこと、そこに感謝することが出発点だと思うのです。
 そういう基本的なところにさえ気づけない、感謝が向けれない人は、そこに気づくまで同じことをさせられます。メグリが解消されない状態です。それではどこまで行っても不満だらけで、いいことが一つもないという心理状況から抜く出せないでしょう。

第5章 運が良くなる体質になる!

転載:『日月神示の開運法則:あの世・この世のしくみが導く』  中矢伸一著 徳間書店 2014.2.19

 従って成功のカギは、ちょっと逆説的になりますが「自分の成功を優先して求めない」ということになります。
 日月神示には、自分以外の者のために尽くせとあります。
 「他の為に行ぜよ。神は無理申さん。始めは子の為でもよい。親の為でもよい。自分以外の者の為に、まず行ぜよ。奉仕せよ。嬉し嬉しの光さし初めるぞ。初めの世界ひらけるぞ」
 最初は子どものためにあってもいいし、親のためであってもいい、さらにできるのであればまったく関係ない他人のためにと、自分から広げていきなさいというのです。とにかく自分以外の者のために尽くすことを説きます。
 ですから「まずは自分が先に良くなりたい」という考え方こそ、自分自身を不幸にしてしまうというわけです。その事実にまず気づくこと。そこに気づくと自然に行動できるようになります。
 思うに、もしかしたら開運はここが「肝」(きも)かもしれません。
 なぜなら、私たちの人生で「まずは自分以外の者のために尽くす」ことほど難しいものはないからです。私たちはつい自分の幸せを優先して行動しがちです。でも幸せは後からついてくるものであり、自分かた求めなくても行動の結果として存在するもの。このしくみがわかっていれば、さほど難しいことでもなくなります。
 「他の為に苦労することは喜びであるぞ。全体の為に働くことは喜びぞ」
 苦労は喜びであると日月神示は説きます。
 家族のため、クラスメートのため、友人のため、地域のため、もっと大きく社会のため、色々と自分なりに考えてできる範囲で尽くすと、知らないうちに自分自身が言い知れぬほど大きな愛で満たされているのを感じます。
 ビジネスの面でも「まず尽くす」というアクションは効果テキメンです。
 相手に尽くすことが必すにもすぐに利益へと変わるわけではありません。でもそれは信用・信頼へと化学反応を起こします。次第に仕事がたくさん来て忙しくなる、取引先も良縁に恵まれる、よって最終的に自分に入るお金が増えるという「正のサイクル」に、気づいたらなっていたというのが本当の幸せだと思います。
 
 正のサイクルにいる人は、相手から感謝されることが多い人です。
 「この人はなくてはならない存在」
 多くの人からそう思われる人です。
 そういう人は、知らず知らずのうちに様々な方向からサポートを受けます。そうすると、そういう人は、決して倒れません。トラブルに巻き込まれても、サポーターが助けてくれます。これが本当に強い人です。
 自分の力は強いんだぞ、自分は能力のある人人間なんだぞと、主張しまくる人もいますが、それは単なる過信です。こういうタイプは一旦孤立すると目も当てられません。脆(もろ)いというか弱いというか、一瞬成功したとしても長くは続きません。
 前漢の武帝時代に司馬遷が編纂した中国の歴史書『史記』に、「士は己を知る者の為に死す」という記述があります。自分の真価を認めてくれるような知遇を得ると、その人物のために命も惜しまないという気になるのだ、という意味です。
 過信する人間には、そもそも知遇を得るチャンスが訪れません。
 ただそこにあるには、欲得で左右される人間関係です。
 本当に強い人は、何も言わずとも支えてくれる、つまりバックアップされる関係があります。プラスのネットワークとも言います。お金に困らず、仕事にも困りません。愛に満たされており、いい仲間がいて楽しく、人生はこんなに有意義なのだと実感するでしょう。独り勝ちを考える人には、その境地がいつまでもわかりません。
 1980年代後半から90年前後のバブル景気の頃、あるいは2000年前後のITバブルの頃は、まだ「独り勝ち思考」はお金を生む時代でした。そういう成功の仕方もあったわけですが、2014年以降、これからは私たちのステージが変わります。独り勝ちは旧世代的な価値観であり、そういう思考ではますますうまくいかなくなるでしょう。
 その逆に、そこに気づいて生き方を変えるという、たったそれだけで、成功する人も続々と登場することでしょう。
 日月神示にある言葉を掲載します。
 「公(おおやけ)のことに働くことが己のために働くこと」
 「よきことは、人にゆずりて人をほめ 人をたてること 人の人なる」
 

第5章 運が良くなる体質になる!

転載:『日月神示の開運法則:あの世・この世のしくみが導く』  中矢伸一著 徳間書店 2014.2.19

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