ハルマゲドンの大峠 ノストラダムス予言研究家ザール隊長

日月神示:春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠越せんことになるぞ。 日月神示を参考にノストラダムスの予言を研究しています。2016年から2025年までは正念場のときです。2023年、北海道の長雨から日本はいよいよ厳しい状況となります。2024年は北日本と首都直下の大地震があるようです。北海道・東北・関東はほぼ間違いなく住めなくなくなりますね。国民は淘汰され、3500万人ほどになるようです。日月神示では掃除・洗濯・身魂磨き・改心という言葉が頻繁に使われています。カルマの浄化が大切です。 日月神示に関しては中矢伸一さんの著書などから転載した記事もあるので読んでいただければ幸いです。

カテゴリ: 【宍倉正展】大地震予測

本日は世界津波の日

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 産業技術総合研究所活断層・火山研究部門 海溝型地震履歴研究グループ長   宍倉正展       https://staff.aist.go.jp/m.shishikura/CV.htm

そのとき私は、勤務先の独立法人産業技術総合技術研究所(茨城県つくば市)の図書室にいた。激しい揺れに書棚が倒れ。書籍が雪崩(なだれ)のように落ちてきた。身の危険を感じ、すぐ近くのテーブルの下に身を潜めた。
大きい。そして長い。
「これは、大変なことになるかもしれない」
私は。揺れへの恐怖よりも震源地とその規模が気になった。なんとか書棚の下敷きになるのを免れ、避難すると。すぐに携帯通信端末の画面を叩き、米国地質調査所のサイトを食い入るようにして見た。こんなときは気象庁よりも米国地質調査所の方が信頼できる。暫定マグニチュード8.8、地図上の震源を示すマークは宮城県沖。全身から血の気が引いていき、戦慄(せんりつ)が走った。
「貞観の再来だ。津波、巨大津波が来る」
私は大声で叫んでいた。
すべての建物が停電し、ほどなくして通信端末の電波も途絶えた。情報がない。
だが今の瞬間、巨大津波が海を伝い、沿岸に迫っているに違いない。いったい現地はどうなっているのか?
つくばの美しい山並みが見える窓の外の景色は、ふだんであれば私たち研究者を癒してくれるが、今はそれどころでない。
「逃げてくれ、いますぐに。高台へ、すぐに逃げてくれ」
窓の外に向かって、私はただ祈るしかすべがなかった。

(つづく)

出典:『次の巨大地震はどこか!』「第1章 東日本大震災はなぜ起きたのか」 
    宍倉正展 ミヤオビパブリッシング 2011/9/9


●「東北地方太平洋沖地震」その5「貞観地震」との関連について
  http://tarouroom.blog89.fc2.com/blog-entry-1169.html

11月4日の記事の大木聖子さんの夫が宍倉正展さんです。
下記の「夢の深層 PART3」(動画)をご覧になっていない方はご覧下さい・

※2020.2.27更新

2011年3月11日午後2時46分頃、東北地方の太平洋沖を震源として発生した大地震は、まもなく気象庁によって「2011年東北地方太平洋沖地震」と命名され、それに伴う災害は「東日本大震災」と称されるようになった。にちに地震の規模もマグニチュード(M)9.0に訂正された。この国内観測史上最大規模の地震は2万人以上の死者や行方不明者を出したが、そのなかの多くの人が大津波の犠牲になった。その第一報に触れたとき、私の胸の中は後悔の念でいっぱいになり、激しく痛んだ。
なぜなら、私たちの研究チームは昨年(2010年)までに、宮城県や福島県で過去に巨大津波が押し寄せていた事実と、それが今回と同じ日本海溝沿いのプレート境界を震源とした地震であったことを調べ上げ、文部科学省に報告していたからである。そして昨年8月、私の所属する活断層・地震研究センターの広報誌で「宮城県~福島県沖で巨大津波を伴う地震がいつ起きてもおかしくない」と述べていた。さらに今年の3月23日には、地震調査推進本部の事務局の人たちとともに)福島県庁に出向き、自ら大津波襲来の危険性を説明する予定だったのだ。
地震調査研究推進本部とは、地震の長期的な発生確率などを評価し、公表している政府の機関である。その評価結果は、自治体などにおける防災対策の指針の一つとなっており、2002年に、今回の地震の震源にもなった日本海溝沿いの地震の長期評価を公表していた。そこには今回のような巨大津波を伴う地震は想定されていなかったが、実は昨年から、その評価を見直し、我々の研究チームの成果も取り入れて改訂を行うために、審議を重ね、この4月に改めて公表する予定だったのである。
福島県への訪問はその事前説明の意味があった。さらに私の研究チームでも独自に、地域住民の方々に向け、過去に巨大津波で一帯が浸水していた事実と将来の津波のリスクをより多くの人々に理解してもらうために「津波浸水履歴地図」を作成し、無料配布することを以前から計画していた。
ところが、大地震はその矢先に起きてしまった。いつ起きてもおかしくない地震ではあったが、何故今このタイミングで起きてしまったのか、せめて数年先、いや、4月の公表まで待ってくれれば、その危険性を訴えることで一人でも多くの人の命を救えたかもしれない。しかし、地震は無情にも容赦なく発生した。地震直後のニュースを見ると、地震が発生したあとも内陸部にいた人は、まさか津波が自分たちのところまで押し寄せて来るとは思わず、着替えたり電話をしたりして時間をつぶしていた人がいた。あるいはまた、逃げるどころか津波の到来を見に海辺に出かけた人もいたという。そんな状況はまさに、私たちが恐れ、以前から警告していたものだった。
実は私の3月23日の福島県への説明の前に、地震調査研究推進本部事務局の関係者のみで宮城県庁に赴き、将来の巨大津波の可能性を説明していた。とこが、関係者らの反応は鈍かったという。おそらく「500年か1000年」に一度起きる地震」と言われても、そんなに長い間隔の地震にはどう対策を立てたらよいかわからなったのではないだろうか。
そこで、直接、研究者自身が出向いて説明しなくては自治体に理解させることはできないということになり、私が行くことになったのだ。自分が行く以上、地震対策、津波対策の必要性を絶対に理解してもらおう。そう決意していた。その意気込みは私自身の過去の苦い経験に基づいている。かつてある自治体に現地調査の協力依頼をしに行った際、我々の研究の趣旨や将来の巨大津波対策の重要性をうまく説明できず、逆に「お宅らの研究は迷惑だ」と言われてしまったことがある。
実際には我々の調査に対して非常に協力的であったのだが、当時としては財政難の中で、いつ来るかも分からない巨大津波の対策と言われても、というのは多くの自治体関係者にとっての本音だったであろう。本当はそこで我々研究者や専門家が知恵を絞って、対策をうまく説明していかなければならなかったのだが、間に合わなかったのである。
「まったく何の備えもない状況で津波が来たものだから、どうしようもなかった。津波が来るというわかっていたら、何らかの対応ができたのだが・・・・・・」という被災者の声を耳にするたびに、研究者として申し訳ない気持ちでいっぱいになった。地震の発生があと少し遅れてくれたら・・・・・・。救えたはずの命を救えなった悔しさ。大震災直後の私は、非常に残念で、非常に悔しい思いで胸が張り裂けそうだった。

出典:『次の巨大地震はどこか!』「第1章 東日本大震災はなぜ起きたのか」 
    宍倉正展 ミヤオビパブリッシング 2011/9/9


※2020.2.27更新

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 「東日本大震災を予見した男」としていまや有名なのが、宍倉正展氏である。ジーパンにペンダント、ミュージシャンのようなスタイルの宍倉氏はまだ41歳。しかし、日本最大の研究機関「産業技術総合研究所(産総研)」の活断層、地震研究センター海溝型地震履歴研究チームでチーム長を務めている、注目の若き研究者なのだ。
 宍倉氏は以前から、東日本大震災をもたらした東北地方太平洋地震のような大地震がいつ来てもおかしくない状況だといい続けてきた。主張を続けたことで、国の地震研究の総本山ともいわれる地震調査研究推進本部でも取り上げられ、ようやく今年4月にはその審議が公表される予定になっていた。その直前の3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生し、東日本大震災となってしまったのだ。
 「『いつ』とは特定できていたわけではありませんが、いつ来てもおかしくないので早めの対応を考えるべきだと啓蒙しようとしていた矢先のことでした。まさか、こんなに早くやって来るとは私も思っていなかったんですね」
 と宍倉氏は言う。それでも早く彼の警告に耳を傾けて何らかの対策をとっていれば、少しは被害を小さくできたのかもしれない、と思えて残念でならない。
 氏が東北地方太平洋沖地震を予測していたのは、氏の研究チームが東北地方に大被害をもたらした869年の「貞観地震」による大津波の到達位置からシュミレーションしていたからだ。これまで、貞観地震は巨大地震として認識されてきていなかった。残されている記憶がほとんどないからだ。だから地震調査研究推進本部でも、巨大地震の発生を予測する基準にされていなかった。
しかし宍倉氏のチームは、貞観地震による津波が内陸3~4kmのところまで達成していることをつきとめた。巨大地震だった重要な証拠である。
 「それほどの規模の巨大地震は約1000人に1回の割合で起きるという研究結果があります。貞観地震が巨大地震だったとすると、すでに1000年が過ぎていますから『いつ来てもおかしくない』状態だったわけです」
 貞観地震が巨大地震だったとみなされていなかったことが、東北地方太平洋沖地震の対策が遅れた原因のひとつでもあったのだ。
 「室町時代にも巨大地震が起きた可能性があります。その津波がどこまで到達したか確認できないので断言はできませんが、貞観地震から500年後に巨大地震が発生していたことになります。だから私は、500年から1000年に1度、巨大地震が東北地方で発生する可能性が高いと警鐘を鳴らしていたのです」

出典:『地震は予知できるか(2011.8.12)別冊宝島1789号


貞観津波想定を…産総研、09年に見直し迫る(読売オンライン)

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(左)宍倉氏が持つのは1人用のハンドコアラー
(右)掘り出した地層を板に貼りつけた地層サンプルを説明する宍倉氏。地層の違いがわかる。

 なぜ、宍倉氏のチームの研究は地震研究全体のなかで重視されてこなかったのだろうか。それを訊くと、笑いながら宍倉氏は答えた。
 「日本における地震研究の中心は、地震計など計器による観測で地震をつかまえるというものです。そういうものと違って私たちのやっている研究は、地質調査で地層を調べて、そこに残されている津波の痕跡で過去の地震を調べるという方法です。地震研究の中でもやっている研究者も数も少ないし、マイナーな分野なんです」
 地層を調べていくと、海や海岸にしかない砂利や化石などが内陸の方で見つかることがある。地震による津波が運んだもので、その発見された場所が海岸から遠ければ遠いほど大きな津波が押し寄せたことの証拠でもあり、その津波の原因となった地震も巨大だったことがわかるというものだ。
 その津波が運んだ砂利や化石が含まれている地層から、時代は特定することができる。つまり、いつごろどれくらいの規模の地震の津波が発生したかがわかるのだ。
 この方法で宍倉氏のチームは、貞観地震があったことをつきとめた。まだ調査段階ではあるが、貞観地震と同程度の巨大地震が室町時代にも発生していた可能性があることもわかってきた。
 そこから「500年から1000年に1度、東北地方で巨大地震が発生する可能性がある」という結論に到達したのだ。
 マイナーと言われる研究だったために、宍倉氏の警鐘も軽視されてしまったことになる。しかし重視されてきた研究よりも、東北地方太平洋沖地震が発生する危険性を察知していたことも事実なのだ。
 ただし、地層を調査して地震の痕跡を見つけ出すという作業は、なかなか簡単なことではない。
 地質調査には「ハンディーズオスライサー」や「ハンドコアラー」という道具を使う。金属製の細い筒状のものを土壌に数メートルも差し込んでいき、それで地層サンプルを取り出すのだ。これらの道具は1人で運んで作業するものから数人がかりでやるものと、場所によって使い分ける。
「作業自体も地道な力仕事なんですが、それをやらしてもらうまでが大変なんです」
 と、宍倉氏、調査だからといって、どこでも掘り返して地層サンプルを取っていいというわけにはいかない。土地には必ず地権者がわけで、調査の前に了解を得なければならない。
 「これが大変で、地権者を調べるところから始めて、11軒ずつ説明していかなければなりません。簡単に了解してもらえず、拒否されることもけっこうあります。そういうなかでサンプルを集めていくんですから苦労しますね。掘る了解が得られば、調査の半分以上は済んだと言っていい」
 そう言って、宍倉さんは笑った。貞観地震についても400箇所以上からサンプルを採り、巨大地震だったことを証明させてみせた。大変な苦労をした結果だったのだ。

出典:『地震は予知できるか(2011.8.12)別冊宝島1789号

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