人が心をこめて善かれと意図したことも、ときとして最悪の結果を招来することがある。それとは逆に、邪悪な心の動きに導かれてさえ、たまたま善い結果を見出す場合もある。ならば、意図がいかであれ、結果さえ善ければそれでいいのだろうか。否である。善き意図こそ大切なのだ。
特定の行為の善悪を分ける実際の境界区分を見つけることは、はなはだむずかしい。行為そのものが存在するところの基盤についても判定しなければならないからだ。しかし、物事を究極までつきつめたところでは、意図と結果が、それぞれの行為の善悪を判定する主たるふたつの要素であろう。
特定の行為の善悪を分ける実際の境界区分を見つけることは、はなはだむずかしい。行為そのものが存在するところの基盤についても判定しなければならないからだ。しかし、物事を究極までつきつめたところでは、意図と結果が、それぞれの行為の善悪を判定する主たるふたつの要素であろう。
第三章 カルマの法則
転載:『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』 ダライ・ラマ14世、大谷幸三 角川ソフィア文庫 2008/07/25
(底本:ダライ・ラマ14世、 大谷幸三 『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』(クレスト社 1994年刊)
転載:『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』 ダライ・ラマ14世、大谷幸三 角川ソフィア文庫 2008/07/25
(底本:ダライ・ラマ14世、 大谷幸三 『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』(クレスト社 1994年刊)