「金持ちになりたい」と思うのは何かの洗脳か
洗脳にも、「いい洗脳」「悪い洗脳」がある
洗脳にも、「いい洗脳」「悪い洗脳」がある
世の中には、自分が「金持ち」でないことが不満で、なんとか「金持ちになりたい」と思っている人が意外に多い。億万長者を夢もみて、一般大衆からの脱出をはかり金持ちとかセレブとか呼ばれる仲間の一員になることを一生の目標としている。あなたもその一人ではないだろうか。
では「金持ちになりたい」と思っている人は、金持ちとはいったいどんな人をいうのか考えたことがあるのだろうか。
どうして自分は金持ちになりたいのか考えたことがあるのだろうか。
金持ちになりたい人たちは「金持ちでなければならない」「金持ちでないと恥ずかしい」、つまり「金持ちはいい」と刷り込まれてしまっているからであろう。ほとんど人が金持ちになりたいというのであれば、世の中の大半が金持ちであることはいいことだと、「洗脳」されているということになる。では、「洗脳」とは何なのか。そのことから説明しよう。一般に「洗脳」というと、特定の主義・思想を持つように仕向ける事・またはその方法を指すのだが、まず大前提に、洗脳とは誰の利益になるのかということを考えてみる必要がある。本人の利益になっていれば洗脳でないし、洗脳といってはならない。
定義として、洗脳とは、洗脳者(洗脳する側)が洗脳される側に、脳内に意図的なある情報を書き込むことあるが、その意図とは、いうまでもなく洗脳者の利益のためであることが大前提となる。
ただし、宗教などは洗脳者の利益のためでなく、真に宗教にはまっている人は、神のためにやっているのであり、自分の利益のためにやっているつもりはない。が、怪しいグレーゾーンの宗教もあるわけで、見極めが難しいところもある。出家信者が教祖のためにお布施を一生懸命差し出したり、教祖も自分の利益のために信者から金品を巻き上げたりするなどという要因がそろったときには、はじめて洗脳になるだろう。
まず先に、「悪い洗脳」と何かを考えてみる。それは洗脳者が「恐怖」を使うか使わないかということだけだ。もっと正確にいえば、恐怖に類するもので、「不安」、感情としては違うが「痛み」など、要するにネガティブな感情、マイナスの感情を使うのが「悪い洗脳」である。
そこで気をつけたいのは、教育は洗脳とはいわないということである。なぜなら、本人の利益になることは洗脳とはいわないからである。その場合、「いい教育」か「悪い教育」か、という問題になる。
たとえば、「そんな成績では医大に行けないぞ」というのは、恐怖を使っているのであり、つまり脅しである。しかし、本人の利益のためだから「洗脳」ではなく教育といえるが、正確にいえば、「悪い洗脳方法を使った教育」といえるのである。私がよくいう、ドエリームキラー(注)などは人の夢を壊す悪い教育の例である。
では「金持ちになりたい」と思っている人は、金持ちとはいったいどんな人をいうのか考えたことがあるのだろうか。
どうして自分は金持ちになりたいのか考えたことがあるのだろうか。
金持ちになりたい人たちは「金持ちでなければならない」「金持ちでないと恥ずかしい」、つまり「金持ちはいい」と刷り込まれてしまっているからであろう。ほとんど人が金持ちになりたいというのであれば、世の中の大半が金持ちであることはいいことだと、「洗脳」されているということになる。では、「洗脳」とは何なのか。そのことから説明しよう。一般に「洗脳」というと、特定の主義・思想を持つように仕向ける事・またはその方法を指すのだが、まず大前提に、洗脳とは誰の利益になるのかということを考えてみる必要がある。本人の利益になっていれば洗脳でないし、洗脳といってはならない。
定義として、洗脳とは、洗脳者(洗脳する側)が洗脳される側に、脳内に意図的なある情報を書き込むことあるが、その意図とは、いうまでもなく洗脳者の利益のためであることが大前提となる。
ただし、宗教などは洗脳者の利益のためでなく、真に宗教にはまっている人は、神のためにやっているのであり、自分の利益のためにやっているつもりはない。が、怪しいグレーゾーンの宗教もあるわけで、見極めが難しいところもある。出家信者が教祖のためにお布施を一生懸命差し出したり、教祖も自分の利益のために信者から金品を巻き上げたりするなどという要因がそろったときには、はじめて洗脳になるだろう。
そして、洗脳には、「いい洗脳」と「悪い洗脳」がある。だが、幸福になれば「いい洗脳」で、不幸になったら「悪い洗脳」などと結果論で考えてはいけない。
なぜなら、5年後には不幸だったけど、100年後には幸福かもしれない。宗教的な考え方でいけば、今は不幸でもあの世へ行けば幸福だからである。よって、洗脳の結果は定義に入れるべきではないのである。まず先に、「悪い洗脳」と何かを考えてみる。それは洗脳者が「恐怖」を使うか使わないかということだけだ。もっと正確にいえば、恐怖に類するもので、「不安」、感情としては違うが「痛み」など、要するにネガティブな感情、マイナスの感情を使うのが「悪い洗脳」である。
そこで気をつけたいのは、教育は洗脳とはいわないということである。なぜなら、本人の利益になることは洗脳とはいわないからである。その場合、「いい教育」か「悪い教育」か、という問題になる。
たとえば、「そんな成績では医大に行けないぞ」というのは、恐怖を使っているのであり、つまり脅しである。しかし、本人の利益のためだから「洗脳」ではなく教育といえるが、正確にいえば、「悪い洗脳方法を使った教育」といえるのである。私がよくいう、ドエリームキラー(注)などは人の夢を壊す悪い教育の例である。
対極にある教育法が、コーチングである。コーチングは洗脳と同じような方法論を使うが、絶対に洗脳の定義にはなり得ない。なぜなら、コーチングはクライアントの利益のためにしかやってはいけないからである。医師が医療行為を患者の利益のためにしかやってはいけないのと同じである。
コーチングとは、本人の自己評価、自己能力を上げるためのもので、褒めることはあっても、けなすことはない。気持ちよくさせることはあっても、怖がらせることはない。したがって、ネガティブな感情を使わないところが方法論としては「いい洗脳」と同じだが、直接的な脳内面への介入的な情報の書き込みをしたとしても、クライアントの利益のためであれば、洗脳にはなり得ないのである。
これらのことから、コーチングは洗脳にならないし、社会的にあったほうが望ましいといわれている教育法の域に入るのである。
一方、「いい洗脳」は、人を嬉しくする、気持ちよくするといったプラスの感情を使うことによって、自己能力、自己評価を上げる。決してマイナスの情動を使わず、プラスの情動だけを使う。
これらの定義を理解したうえで、金持ち論、貧乏論に入っていこう。
注:ドリームキラー・・・過去の実籍に基づいて、助言という形で夢を壊してしまう人。一番このドリームキラーになりやすいのは親や教師である。
第1章 本当の「金持ち」、ウソの「金持ち」
苫米地英人の金持ち脳 ~捨てることから幸せは始まる~ 苫米地英人 徳間書店 2012/10/23
※上記の書籍から部分的に抜粋して連載します。そのため、わかりずらい部分があるかもしれませんが、ご了承ください。さらに詳しく知りたい方は書籍をお読みください。