・国家神道の復活狙う?
全国にある神社は本来、独立した存在である。他の宗教のように本山、末寺といった関係でない。「本庁之を輔翼す」(神社本庁の庁規第61条)。「輔翼」とは、補佐するという意味であり、それが1946年2月3日に創立した神社本庁の存立趣旨である。ところが、神社本庁が各神社の宮司の任命権を持つ限り、中央集権化し、補佐どころか、その機能を恣意(しい)的に使うことが可能となる。当事者主権を奪っているのが現在の神社本庁の姿だ。それがまた、国家神道時代に復帰したように政治運動化した、今日の上意下達のシステムを作り出す構造的要因ともなっている。
「神社本庁は本来、互助会のような組織。しかし、今の神社本庁は戦前・戦中の内務省神社局のような機関になろうとしている」。
そう話すのは、地元「宇佐文学」顧問の岩男英俊さん(78歳)だ。神社神道の研究者でもある岩男さんによれば、神社本庁は全国に約350ある別表神社(注)の宮司はおろか、神職まですべての任命権あお握れるように画策しているという。「国家神道の復活を狙っているとしか思えません」。
宇佐神宮の全国各地の神社にとっても他人事でないはずだ。神社本庁は問題の多い宮司任命権を放棄し、各神社の当事者組織に委ねるべきだろう。
前出の永弘権宮司はぼそっとこう言った。.
「本当は、到津いとうづ)家(宮司を)継ぐのが一番いい」
それが本心なら8年前の責任役員会の全員一致による克子(よしこ)の宮司就任決定にまで立ち戻ることが必要ではないか。
復職を目差して裁判を闘う克子さんは「社会不安の多い中、神道が乱れの元になってはならない」と語る。
神社本庁に田中総長に取材を申し込むと、「係争中だから」として応じなかった。
完
出典:文=片岡伸行( 『日本会議と神社本庁』 成澤宗男編著 金曜日 2016/6/29)
全国にある神社は本来、独立した存在である。他の宗教のように本山、末寺といった関係でない。「本庁之を輔翼す」(神社本庁の庁規第61条)。「輔翼」とは、補佐するという意味であり、それが1946年2月3日に創立した神社本庁の存立趣旨である。ところが、神社本庁が各神社の宮司の任命権を持つ限り、中央集権化し、補佐どころか、その機能を恣意(しい)的に使うことが可能となる。当事者主権を奪っているのが現在の神社本庁の姿だ。それがまた、国家神道時代に復帰したように政治運動化した、今日の上意下達のシステムを作り出す構造的要因ともなっている。
「神社本庁は本来、互助会のような組織。しかし、今の神社本庁は戦前・戦中の内務省神社局のような機関になろうとしている」。
そう話すのは、地元「宇佐文学」顧問の岩男英俊さん(78歳)だ。神社神道の研究者でもある岩男さんによれば、神社本庁は全国に約350ある別表神社(注)の宮司はおろか、神職まですべての任命権あお握れるように画策しているという。「国家神道の復活を狙っているとしか思えません」。
宇佐神宮の全国各地の神社にとっても他人事でないはずだ。神社本庁は問題の多い宮司任命権を放棄し、各神社の当事者組織に委ねるべきだろう。
前出の永弘権宮司はぼそっとこう言った。.
「本当は、到津いとうづ)家(宮司を)継ぐのが一番いい」
それが本心なら8年前の責任役員会の全員一致による克子(よしこ)の宮司就任決定にまで立ち戻ることが必要ではないか。
復職を目差して裁判を闘う克子さんは「社会不安の多い中、神道が乱れの元になってはならない」と語る。
神社本庁に田中総長に取材を申し込むと、「係争中だから」として応じなかった。
完
出典:文=片岡伸行( 『日本会議と神社本庁』 成澤宗男編著 金曜日 2016/6/29)