幕末の1855年(安政2年)、江戸は大事件もなく秋が深まろうとしていた。その2年前、相模国(現在の神奈川県)小田原で約1000軒が潰れ、1年前には東海から四国の沖合で大地震が立て続けに起き大津波でそれぞれ数千人の死者が出たのに対し、江戸の大地は150年間ほぼ平穏だった。
だが平穏な時代は突如終わりを迎えた。同年11月11日深夜、江戸直下の断が動き、人々は激しい揺れに跳び起きた。安政江戸地震である。庶民の家々はもちろん、大名屋敷も潰れ、約30カ所で出火したが、風による延焼は少なかった。それでも犠牲者は1万人近くに及んだ。当時の江戸の人口が約100万人だったので100人に1人ろいう計算になる。被害は東京駅あたりから東側の地域が大きかった。
東京湾北部地震が直近でいつ起きたかわかっていないが、幕末の安政江戸地震がそれに当たる可能性がある。
首都圏地下構造の正確な探査等をするために、国は2007年から5年計画で「首都直下地震防災・減災特別プロジェクト(首都直下プロジェクト)を実現した。中核となったのは東京大学地震研究所で、防災科学技術研究所と神奈川温泉地学研究所が協力した。
東京都の直下地震においては、都市直下の断層が動いて起きるM7級を「東京湾北部地震」、西側部分の断層が動くM7級を「多摩直下地震」よ呼んで被害想定を行っている。多摩地域はプレート境界面よるも浅い場所に半地溝に伴う立川断層があるので、タイプの異なる2つのM7級が直下で起きる恐れがあることになっている。首都直下プロジェクトの地震観測網で東京都心直下のプレート境界面の状況を探ったところ、その深さは1990年代初めの研究論文をベースにした従来推定よりかなり浅いことがわかった。東京湾北部地震の断層は従来想定よりかなり浅いことがわかった。東京湾北部地震の断層は従来の想定では深さ30km~40kmだったのが5~10km浅くて20~30km。さらに地震波速度の解析から、このあたりのプレート境界面でも、大正関東地震の震源域と同じように固着が起きていることがわかった。また多摩直下型地震の震源断層も従来想定より10~15km浅く、深さ20~30kmであることがわかった。
同じM7級であっても震源断層が浅くなれば地表の揺れは全体的にかさ上げさて被害が増す。首都直下プロジェクトでは、この新たなる情報をもとに東京湾北部地震の震度分布を求めた。その結果、従来想定にはなかった震度7の地域が現れ、震度6強の地域は東京湾岸から西側の内陸部までかなり拡大した。
出典:日経サイエンス 2013.6 首都直下地震
※日月神示には「地震・雷・火の雨降らして大洗濯するぞ」とあります。現時点ではこの文の「地震」とは首都直下地震と考えています。安政江戸地震のような大地震の可能性が大です。これらをご覧いただければ幸いです。→【はじめての日月神示】中矢伸一:私たちの未来と予言 ③:「大洗濯・大掃除」のための災難