病気といわれるものを考えるうえで重要なのは、健康でない状態こそが人間として自然であるという考え方である。人間は常に不調を感じながら、愚痴をこぼして不調とつきあい、自然に生き、自然に死んでいくものである。古代民族にとっても、少し前の日本人にとっても、これこそが自然な感覚であった。
 これは「医学不要論」を提唱するうえで、決して外せない概念だ。とくに代替療法者などに多いが、代替療法という名の治療にしたがっていれば、体調はいつも良好で、人生はハッピーだなどという人がいる。しかし、それは本当の意味で自然でもなければ、健康であるともいわない。
 自分自身を振り返ってみても、私はいつも体の不調を感じている。と思ったらそれを忘れ、また思い出したように不調を感じる。理想的な健康体などどこにもないのに、「健康じゃなくても、生きてればいいや」とさえ思わない。
 今の日本人は「常になんの不調もない状態が健康である」という考え方が洗脳だということに気づいていない。それがいわゆる「医療化」を生み、医原病を生み、さらなる不健康をもたらす。
 体に何も症状が出ていないことが健康な状態だと考えている人が多いようだが、それはおかしい。症状はあなたのセンサーそのものであり、生きている証明そのものである。その症状を愛さねばならない。症状を治そうと思うからこそ、医学の奴隷になる。健康ばかり追い求めるからこそ、いんちきな商売が生まれ、詐欺も生まれる。本来、治療の目的は病院を卒業することにあり、その不調が自然であると悟ることにこそある。
 世の中の実情や裏側を知ろうと努力する人でも、医療や食の分野となると、ほとんど無頓着かつ無知であるいことがほとんどだ。ロックフェラーやロスチャイルドといった言葉を知っていても、平気で病院にかかっている人は数知れない。そのような人々はみな「気づいたふりをしている人々」であり。前著でいうところのB’層とでもいうべきだろうが、それを指摘するとまた逆ギレするのも日本人の特徴であるらしい。

         
第二部 各論―この世界を変えるために「やるべきこと」
 
転載:『99%の人に伝えたいこの世界を変える方法 <彼ら>を打倒せよ!』 
    
内海聡 イースト・ブレス 2015.6.7
 


※2019.11.24更新